教育ほど様々な考え方があり、人によって多種多様に変化する分野はありません。だからこそ、初めての子育てにチャレンジ中のお母さん、お父さんは、何が正解なのかを迷ってしまうこともあると思います。
その中でも、幼児教育の中でよく耳にする「モンテッソーリ教育」と「エミリア教育」の2つの分野の共通点から、よりよい教育とは何かを考察する記事を書いていきます。
『実践版 0~3歳までのモンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』(藤崎達宏著)と『モンテッソーリ教育・レッジョ・エミリア教育を知り尽くしたオックスフォード児童発達学博士が語る 自分でできる子に育つほめ方叱り方』(島村華子著)の2冊の内容と、筆者の経験からの実感を織り交ぜて、信憑性のある内容にしていくので、ご覧ください。
モンテッソーリ教育×レッジョ・エミリア教育の共通点
最も大切なのは、子どもに対する考え方です。その考え方は以下の通りです。
子どもは本来自分一人でものごとを解決する力をもっている。大人の仕事はその子どもたちのサポーターであることだ。
結論を言えば、この一点に尽きます。子どものことを考えるとは、子どものことを心配することではなく、とにかく伸ばそうと褒めたり激励したりすることではなく、子どもを信じることなのです。
筆者は小学校の教師として10年働く中で、子どもとは、とても高い能力をもっていることを何度も思い知ってきました。正直に言えば、大人よりも、子どもの方がよっぽど高いです。大人ができないようなことも、いとも簡単に乗り越えることができます。それは、勉強面でも、運動面でも、人間性の面でも、です。
大人顔負けの詩の分析作文を原稿用紙30枚以上書いてしまったり、6年生ですら達成率0%と言われる鉄棒技を小学1年生たちが次々と達成してしまったり、人との性格の違いを受容して互いの存在を一人残らず尊重する人間性を身に付けていったり・・・ 筆者は全国の様々な実践家たちに教えてもらった事実から、そのことを知っているのです。
誰に教えてもらうか、どんな言葉を掛けてもらうかで、子どもというものは変幻自在に変化していけるのです。では、子どもの可能性を伸ばすためには、どんな接し方を心掛ければよいのでしょうか。
条件付き子育てと無条件子育て
『モンテッソーリ教育・レッジョ・エミリア教育を知り尽くしたオックスフォード児童発達学博士が語る 自分でできる子に育つほめ方叱り方』の中で、「条件付き子育て」と「無条件子育て」という言葉が出てきます。
条件付き子育てとは
「条件付き」ということは、一定の条件下でのみ、愛情を与えられたり、褒めたり、認められたりする子育てです。このような接し方を続けた場合、以下のような特徴や状態を生むようになります。
・短期的にしか効果を生まない
・条件付きの自己肯定感になる
・親子関係が悪化する
・世代で受け継がれる
「一定の条件下でのみ愛情を注ぐ」という行為の例として、「親の言うことを聞いたときのみ褒める」「テストで満点を取ったときのみ褒める」「容姿が優れていたら褒める」といったことがあげられます。
このような場合、親は子どもファーストなのではなく、自分ファーストとなっています。つまり、子どもを自分の自己肯定感を上げるための道具として見てしまっている可能性があるのです。
この条件下で言葉掛けを続けてしまうと、「親の言うことを聞かない自分は価値がない」「テストで100点を取れない人間はダメなやつなんだ」「容姿が優れていないと人間として優れていないんだ」ということを無意識に学び取っていくことになります。
能力や容姿が存在価値とイコールになってしまうのです。本来なら、存在していること自体は、誰にも左右されない価値であるにも関わらず、です。
結果として、自己肯定感は低くなります。一定の条件下から外れたら、自分は価値はないと思ってしまうのですから、安定はしないでしょう。
そして、小学校高学年になり、思春期に入り始めると、自分をメタ認知できるようになり、親の存在に少しずつ疑いをもち始めます。他の家庭の教育と自分の家の教育を比べ、親の言葉が絶対の価値観ではなかったことを思い知るのです。
そこからは、親に対しての今まで押さえつけられてきた分を発散する反抗が始まり、関係が悪化するのです。子どもによっては、反抗心をむき出しにする子もいるでしょうし、外に出せない分、内に出してしまい、不登校やうつ、摂食障害、病気などの症状を引き起こしてしまう子もいるでしょう。
さらに、愛着は第2の遺伝子と言われるように、大人になってもその価値観を変えることがなかなかできず、自分の家族や子どもに対しても、条件付きの子育てを繰り返してしまうのです。
無条件子育て
「無条件子育て」は子どもが存在しているという、その事実だけで変わらぬ愛情を注ぎ続ける子育てです。その特徴は以下のようなものがあります。
・能力や見た目に集中した声掛けを避け、努力や経過に言及したり、子どもの行動について具体的に声を掛ける
・「子どもは一人で解決できる力がある」という信頼のもと、環境整備や自立サポートをする
・子どもに向き合い、気持ちに寄り添いながらも、必要な制限を設け、子どもに道しるべを示すよきリーダーに親がなる
・子どもの成長段階に合わないことは要求しない
・親は子育ての長期的なゴールの妨げになる行動を振り返り、フィードバックする
無条件に愛するといっても、「甘やかす」とは違います。ここが難しいところです。
常に最終的なゴールである「自立」を目指し、そのために必要なことを取捨選択できるのが無条件子育てなのです。だからこそ、必要な制限や負荷はかけますし、最終的には自分でやり遂げさせます。親が先回りしてやってしまうという、子どもの力を奪うようなことは避けるのです。
まとめと考察
理想的な子育ては、子どもが自発的に何かに取り組み、そのサポートを親がするという形でしょう。
親が子どもに教えたいことは、親のエゴでしかないかもしれません。もちろん、サッカーを教えたいのであれば、教えてもいいと思います。しかし忘れてはいけないのは、子育ての最終的なゴールである「自立」を達成するための手段としてサッカーを教えるということです。
サッカーを教えることで、親子の交流が図られ、困難に立ち向かうメンタリティが育ち、仲間を思いやる温かな人間性が育つ。そのような形なら、サッカーを教えることは、大いに子どもの人生を豊かにするための経験となるはずです。
また、子どもが何に興味を示すか分からないからこそ、環境は整えておいた方がよいでしょう。粗大運動、微細運動ができるような玩具、遊具、知性や思考を鍛える遊び教材、読み聞かせなど、子どもの成長を促す物をたくさん用意し、本人がやりたいと思ったことにとことん付き合い、寄り添い、サポートする。もちろん、無条件に愛情を注ぎながら。
親であるからこそ、「この子には〇〇ができるようになってほしい」といった思いが出てしまうのは当然だと思います。しかし、距離が近すぎると、子どもにとってはやはり重荷になってしまいがちなのです。
やはり一番は、子どもに丁寧に関わりながらも、親自身が何かに夢中になり、子育て以外にも自分が生きる場があるということでしょう。そのように精神的に自立している親御さんの子どもは、得てして精神が安定していて、のびのびしていることが多いです。大切なのは、親が自分の人生を楽しんでいる姿を子どもに見せる、ですね。
子どもたちを成長させることができる教師であっても、その教師自身の子どもの教育は思うようにいかないということが往々にしてあります。それは心理的な距離のコントロールが難しく、自分の思いを反映し過ぎてしまうからでしょう。
自分の子どもの子育ては「血のつながっている他人」と捉えるぐらいで丁度バランスが取れるのです。
客観性を保つためにも、友人や医療、教師などに我が家の教育の在り方を公開する機会を多く持ち、バランスを調整しながら教育をしていく。それが険しくも、楽しい成長が待っている子育てではないかと思います。
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