かつて日本を騒がせていた、校内暴力、ヤンキー、不良といったものを、今は学校現場でそうそう見なくなりました。その代わりに、不登校、自殺願望、リストカット、摂食障害、うつ病などの、外に向けてストレスを発散するのではなく、内にストレスを抱え込んでしまう子どもたちが、圧倒的に増えてきています。
なぜ、このような状態を迎えているのでしょうか。
このような状態を説明するときに分かりやすいのがDoing、Having、Beingの原則です。Doingは、することや役割。Havingは、才能や容姿、財産などのことを指します。そして、Beingは存在価値そのもののことです。
この三原則の観点があれば、日本に今起こっている現状、理想的な家族や組織、会社、そして人格の在り方が分かります。さらに、相手が今何を求めているかが見極めやすくなり、より深く人間関係を結ぶことができ、より豊かな人生を実現することができるのです。
今回は、この心理学的観点を用いて、人間理解を一歩深める内容を記事にしていきます。この原則一つを知っているだけでも、人生の見方が変わってくるはずです。
日本はなぜ今闇を抱えているのか
かつてよりも、精神を病んでしまう人が増えている。これは、実は日本だけの話ではありません。世界各国の先進国は、どこの国も、この道を軽重の差はあれども、たどっているはずです。それは国家というものの性質上、通過せざるを得ないからとも言えるでしょう。
戦後の日本はDoingとHavingの時代
戦後の日本は、新しく国家をゼロからスタートしていかなければなりませんでした。焼野原となった国土に、また一から建物を建造していくのです。これは、Doing。まずは、みんなで精一杯頑張って、日本という国を再び元気にしていこうと、働いて、動いて、行動を重ねていくところからスタートしたのです。
そして、その成果もあり、高度経済成長を迎え、日本は豊かになりました。ジャパンアズナンバーワンと言われ、世界の中でもトップの国家として賞賛をされました。そうやってお金という豊かさや、地位、技術を得たのです。
人々の生活も、電化製品や自動車が普及し、インターネット、パソコン、スマホと便利な物をみんなが持つことができるようになりました。そうやって、Havingの欲求が満たされていったのです。
そして、Doing、Havingが満たされたのならば、当然、残りの一つに焦点が当たるようになります。それが、Beingです。
令和はBeingの時代
平成後期~令和になって、お金持ちになることに、そこまで価値を見出す人が少なくなりました。「いい車に乗りたい」「豪邸を建てたい」「いい時計が欲しい」。もちろんそういう人はいます。しかし、絶対数が減っているのです。
その代わり「クオリティ・オブ・ライフ」「ワーク・ライフ・バランス」のような心の満足度を重視する流れが強くなってきています。社会保障があり、誰でもそれなりの生活ができる世の中になっているからこそ、DoingやHavingに目を向けなくなってきているのです。
だからこそ、Beingの満足、すなわち自己承認欲求を満たそうとする動きが強まっています。SNSの流行はその最たる例です。
フォロワー数、「いいね」の数で、自分がどれだけの人に認められている存在なのかを確かめようとしています。「バズる」という表現が使われますが、誰しもが面白い投稿をすれば脚光を浴びることができるので、SNSにハマって依存してしまう人が出てしまうのも無理のない話だと思います。
しかし、SNSの流行で、容姿が優れている人、能力がある人、行動力がある人がより注目されるようになり、そのような人を常日頃から目にすることで、自分の状況と比べてしまうという環境が生まれてしまっています。
すると、人と比べることが習慣化され、容姿が優れていない、能力がない自分は、価値があまりないのではないかという思考に陥りやすくなっているのです。その結果、精神的なストレスを抱え込み、メンタルダメージを負ってしまうことになっているのでしょう。
また、家庭の問題もあります。今までは、まだ日本が成長をしているという実感を持つことによって、家庭に問題があったとしても、目を逸らし、ごまかすことができていました。
しかし、今は、少子高齢化がピックアップされ、日本の現状が厳しいという現実を突きつけられています。そして、衰退に反比例するように、虐待といった、「家庭内の見過ごされてきた歪んだ愛情の形」に注目が集まっているのです。
これは、家庭だけが悪いという話ではなく、「地域に住む子どもを、地域の住民みんなで教育する」という文化が衰退したからという理由が最たるものでしょう。
戦前の日本は、同じ村、地域の住民で助け合っていたのです。ある意味、Beingを補い合える状態であったでしょう。しかし、戦後にBeingをおざなりにしてきたことによって、今、家庭が孤立しているのです。Beingの欠落のツケを、個々の家庭で払っている状態であると捉えることができます。
そのような複合的な要素が重なり合い、ストレスを抱え、それを処理する手段を持たない人が、どうしても、自分より弱い立場である子どもにそれを向けてしまう。その結果、子どもたちが病んでいくという現象が起こっているのが、今の日本だと感じています。
Doing & Having & Beingによって深まる人間理解
ここからは、三原則という観点を用いることによって、一歩深く人間をみることができる要素について記していきます。「恋愛」「家族」「個人」「組織」の4観点です。
恋愛
モテる人とそうではない人、仲の良いパートナー同士とそうではないパートナー同士、両者の違いをDoing & Having & Beingである程度説明することができます。まずモテ要素。この三原則の要素をバランスよく持っている人は、モテると言うことができるでしょう。
例えば、男性であれば、仕事があって、趣味があって、色々活動している人物である。これがDoing。さらに、仕事の能力があり、生活能力があり、容姿が整っており、且つ、経済的な潤いをもっている。これがHaving。そして、相手を尊重し、気持ちに寄り添うことができ、理解しようと努めることができる。これがBeingです。女性もDoing、Beingは大体同じでしょう。Havingでは、男性に比べて、容姿や若さという要素が相対的に重視されるのも事実です。
三つの要素全てをMAXまで高めるという完璧人間になるという話ではなく、三つをバランスよく保つことが大切なのです。そして、観察眼をもっている人は、相手のそのバランスを感じ取って、パートナーとして選ぶことができます。
この三要素をバランスよく見極めたパートナー同士は、当然、調和のとれた家庭を築くことができます。しかし、一見目立ってしまう年収、容姿といったHavingを重要視し、他の要素を見過ごしてしまった場合は、バランスの崩れた機能不全家族になってしまう場合が起こり得るのです。
家族
精神疾患を抱えてしまう、精神を病んでしまう人は、実は自身や親が高学歴である場合が多いというのは、ドクターたちには周知の事実です。
高学歴であるということは、DoingやHavingを重要視して生きてきたり、子どもにその価値観を押し付けてきたりした場合が多いのです。すると、ワーカホリックのような仕事依存になり、家庭を顧みない親になったり、勉強ができることに価値を置きすぎて、そうではない人は価値のない人間と捉えたりする現象が起こり得ます。
昭和~平成中期までによくあったのは、父親は仕事人間で家庭を顧みず、子育てを母親に任せきりになる。母親は本当は子どもを一緒に育てて生きたいのに、その悩みや喜びを分かち合えない。だからこそ、子どもの教育にのめり込んで依存してしまったり、家庭以外のところで心の拠り所を求めてしまう。そのような現象です。
だから、一見、PTAなどの奉仕活動にとても精力的に取り組んでいるお母さんがいても、その心の中には、誰にも言えない寂しさを抱えているというケースがとてもよくあったのです。家庭内では分かってもらえない代わりに、誰かの役に立っている実感を得るために、エネルギーを外に向けるしかなかったのでしょう。
だからこそ、家族では「分かち合う」という行為がものすごく大事になります。具体的に言えば「口を挟まずに、相手の話を聴く」ということです。それも表面的な「聴く」ではなく、寄り添い、共感するBeingレベルの「聴く」時間をしっかりと作っているかが、家庭が機能するためのキーとなります。そのような家庭では、例え、DoingやHavingがそこまで大きくなかったとしても、「満たされ度」はある状態が多いです。
子どもは、自分の両親のコミュニケーションや、人間としての在り方に大きな影響を受けます。無意識にDoing、Having、Beingの調和がとれた家庭で育てば、子どもが大人になってからも、三要素をバランスよく発揮して、幸福な人生を築いていくことができる場合が多いのです。
個人
個人は一個の人間ですが、実は個人も一つの組織と捉えることができます。一人の人間は母親からの母性と父親からの父性を受け継いで、命を授かっています。この母性と父性の調和がとれ、両者の力を発揮することができると、シナジーといって相乗効果が生まれるのです。つまり、想像力豊かな力を発揮することができます。
逆に、母親や父親にマイナスの感情をもっていたり、その存在を否定して受け入れることができなかったりすれば、母性や父性を存分に発揮することはできません。父親のことを嫌っていれば、この要素を受け継いでいる自分自身をも否定することになるからです。父親から受け継いだ力を避けることは、相乗効果の恩恵を十分に受けることにはならず、想像力も十二分に発揮できない状態になります。
だからこそ、子どものBeingを尊重して子育てをすることが大切なのです。人格を尊重されて育ってきた子どもは、両親のことを心から受容することができます。だからこそ、自分の力をフルパワーに発揮することができるのです。
ディズニー映画の奥深さ
少し、余談ですが、人間理解の奥深さをディズニー映画「白雪姫」からも読み取ることができます。
白雪姫には七人の小人がいます。人間の人格は七つの要素があると言われており、小人はその人格を表しているのです。「幸福」「怒り」「ねぼすけ」「照れ・恥」「とぼける」「くしゃみ」「先生」などです。それを白雪姫という「母性」がまとめあげています。
しかし、母性だけでは人間はうまくいきません。だからこそ、白雪姫は毒りんごを食べて、仮死状態に陥ってしまうのです。
ですが、王子さまのキスという「父性」の吹込みによって命を得ます。このお話は、愛という母性だけでは人間は成り立たず、父性という意志を得ることによって統制されることを象徴しています。Beingという母性+Doing・Havingという父性が合わさることによって、人格は完成するのです。
組織
そしてDoing、Having、Beingの三原則はよい組織かを判断するときにも役立ちます。組織とは、会社、チーム、学級、ボランティア団体、もっと言えば国家も含めることができます。
それぞれに役割が与えられており、一人一人が活動をしているDoing。会社なら利益、スポーツチームなら勝利、学級ならば成長といった成果が出ているかがHaving。そして、根幹となる一人一人の存在が大切に扱われているかがBeing。この三要素がバランスよく整っている組織はとても優秀であるとみることができます。
もちろん、完璧な組織などあり得ないので、不満を抱える人はいるでしょう。それでも、「自分は大切にされている」感覚があるからこそ、多少の不満があっても、一致団結して組織に貢献していこうという気持ちを持つことができるのです。そして、そのような組織は、不満を定期的に「聴く」文化をもっていることも多いのです。
まとめ
いかがだったでしょうか。筆者自身は、このDoing、Having、Beingの三観点を知ることによって、様々な物事を一歩深く分析できるようになりました。
自分が何か困った事態に直面した時は、大抵、この三要素の何かが欠落している場合が多いです。例えば、「成長することにフォーカスするあまり、人の気持ちであるBeingをおざなりにしているのでは・・・」という気付きを得て、自分で軌道修正を図ることができます。
そして、普段から、三要素をバランスよく保ちながら自分という人間の器を大きくしていこうと心掛けることができるのです。
油断をすると、相手をジャッジするために、三要素を用いて相手を見てしまいがちですが、自分を振り返るために、または、自分の人生を豊かにするための尺度として活用することはとても意味のあることなので、筆者自身も、「使い方」に気を付けていきたいと思います。
自分の中で父親や母親のことを受容し切れていないという人は、「大人の自己肯定感の上げ方」というテーマで、両親を受け入れ直す方法を伝えていますので、そちらをご覧ください。
記事の内容が「よかった」「ためになった」と思われた方は、SNS等にシェアしてくださるとうれしいです。最後まで読んでくださりありがとうございました。
コメント