金子みすゞの詩は美しい。時代を越えて人の心を惹き付ける。
そう感じる人が多いからこそ、ずっとみすゞの作品は教科書に載り続けており、みすゞを敬愛する人が常に一定数いるのだと思います。
筆者もその1人です。元小学校教師である筆者は、10年間の中で、全国の様々な研修・セミナーに出かけ、知的興奮を覚えるようなワクワクする授業を学んできました。
この記事では、小学校教師や国語教師であれば、授業に大いに生かすことができる金子みすゞの詩の授業をスライドを使って視覚的にも分かりやすくお伝えします。家庭で行っても、子どもが国語という教科を一歩好きになること間違いなしです。
『積もった雪』『大漁』『わたしと小鳥とすず』『蜂と神様』『蝉しぐれ』の5つの詩を扱って、金子みすゞの魅力に迫っていきます。
金子みすゞという人物象に迫る授業
教育出版の5年生の教科書に『みすゞさがしの旅』という単元があります。それに関連して、金子みすゞという人物に興味を抱かせるように作った授業です。
ただ、詩の授業や解釈は、単元とは関係なく使えるものになっているので、そのような視点でご覧ください。
『積もった雪』の授業
まずは、『積もった雪』の作品から。最初から一部分を隠して提示をします。
まずは、「□の部分を飛ばしながら声に出して読ませる」ことを大事にします。そして、最初は簡単な質問(発問)をして、誰でも授業に参加できるようにしていきます。
❶題名は何ですか。
❷何連の詩ですか。
基本事項を確認したら、範囲を限定して音読させていきます。この詩は「リズム」や「音」に注目することがとても大切だからです。
ここで、隠している□に入るものを考えさせていきます。
全部で三連だから、「上」「中」「下」の順番で「中」・・・?
正解は、「下」。この時点で、「普通はこうであろう」という傾向を覆している作者の意図を感じますね。次は、「上」「下」ときた後の三連です。
正解は「中」。やはり、「上・中・下」の順番をわざと崩しています。
そして、この次がメインとなる質問です。この質問に、作者のこの詩に込めたメッセージが詰まっていると考えてよいでしょう。
「仲間外れの連が1つあります。どれでしょう。」と聞いてみても面白いです。
ここでは、様々意見を交流させます。「〇連だと考えます。なぜなら~と書いてあるので・・・」と詩の中から根拠を見つけさせるようにしたいです。言葉に注目することこそが、国語の力を育むことにつながりますから。
ここからは、各連の1行目、2行目に限定して注目し、作者が「詩のバランスをわざと崩している部分」に注目していきます。
まずは、1行目。これは先ほども書いた通り、「上・中・下」ではなく、「上・下・中」にしているところに違和感を感じます。
「うえのゆき」「したのゆき」「なかのゆき」、おそらく訓読みであることが推測されるので、リズムは一定だといえます。(「じべた」のようにやらわかい訓読み表現を多用していることから、訓読みと推測。)
ここは特に、声に出して、詩のリズムに注目させたいところです。
「最も不幸」「仲間外れ」の連は第三連でした。この詩は1行目、2行目、3行目とも全て三連だけがわざとリズムや条件を崩しています。
1行目・・・「上・中・下」の順番を崩して「中」を最後にしている。
2行目・・・三連の「さみしかろな」だけ音数を崩している。
3行目・・・作者が労わっている理由が2つ書いてある。
それだけ、誰からも注目されずにいながらも、陰ながら支えている存在に、作者は感動や慈しみを覚えたのでしょう。(2行目の「重かろな」だけ漢字表記なのは、平仮名表記よりも漢字表記の方が視覚的に重さを感じるためと推測。)
思い思いに作者の人物象についての考えを述べさせますが、まだ答えは出しません。引き続き、「同じ作者の詩を見ていきます。」と次につなぎます。
『大漁』の授業
2番目に扱う『大漁』は、非常にリズムがよく、音読、朗読、暗唱をしたりすることを子どもたちが好む作品です。まずは、基本事項の確認からです。
❶題名は何ですか。
❷何連の詩ですか。
『積もった雪』も『大漁』も作者の名前は伝えず、「同じ作者の作品です。」とだけ伝えておきます。
この対比は、作品の中にある言葉でも構いませんし、そこから感じるイメージの対比でも構いません。「明るい⇔暗い」は文中の言葉にはないので、イメージです。
他にも、「よろこび⇔悲しみ」といった対比や、「人間⇔生物(自然)」という対比もあり得ます。
上のスライドでは、すでに薄い字になって浮かび上がっていますが、実際なら様々考えさせて、提示をしたいところです。
「たくさんの死という犠牲の上に生は成り立っている」「たくさんの命をもらってわたしたちは生きている」といった、当たり前に思っている「生きる」ということの裏にある、無数の生命の犠牲を忘れてはいけないという作者の思いが伝わってくるような気がします。
ここでも、思い思いに考えを発表させます。『積もった雪』『大漁』で、なんとなくこれらの詩の作者(金子みすゞ)がどんな人物なのかが見え始めてきているはずです。
『わたしと小鳥とすずと』の授業
3つ目は金子みすゞの作品の中で、最も有名な『わたしと小鳥とすずと』を扱います。詩を少しずつ提示していきながら、続きを予想し、作者はどのように考えたのかを知っていきます。
自由に、伸び伸びと意見を交流させたいところです。このように自由に発言できることが国語の魅力でもあり、楽しさでもあります。
この詩の作者はこのように考えました。
第二連も同じように詩の一部を隠して、続きを予想させます。
ここでも同じように、「この詩の作者はこう考えました。」と表示してから、全文を提示します。
この詩の中の「みんな」ですから、「わたしと小鳥とすず」という意見が多数になるはずです。一方で、詩の読み手に投げかけているのだから、「みんな」とは全ての生き物のことであるという意見も出てくるはず。
「みんな」とはだれのことですか。
❶わたしと小鳥とすず
❷全ての生き物
この詩では、おそらく「❷全ての生き物」を指していると考えられます。そして、その証拠となる一文字を探させるのです。
金子みすゞさんは、全ての生き物が等しく命をもっており、それぞれの美しさをもっていることを伝えたかったのではないでしょうか。
3つの作品を授業し、ここでこの詩の作者は「金子みすゞさんである」ということを伝えます。
この授業の流れは、教育出版にある『みすゞさがしの旅』という単元を想定して作っているので最後は教科書につなげました。ただ、そうではなくても、十分に金子みすゞさんに興味を抱かせるきっかけになるのではないかと思います。
金子みすゞの魅力に迫る詩の授業
『みすゞさがしの旅』を授業する場合は、『積もった雪』『大漁』『わたしと小鳥とすずと』を扱い、金子みすゞの人物像を予想させて、教科書に入ります。
教科書には、みすゞがどのような人物であったのか、どのような環境で育ったのかが書かれているので、それを基に、みすゞの人物像をまとめていきます。
それが終わってから、再度、みすゞの思想を念頭にいれた上で、みすゞの詩を読み解いていくとさらに面白いです。
もちろん、詩の授業として、単発で行ってもみすゞの魅力が十分に伝わると思います。
そんな詩の授業『蜂と神さま』と『蝉しぐれ』を紹介します。
『蜂と神様』の授業
この作品も、みすゞらしい小さな生き物への慈しみの心のようなものを感じます。しかし、様々な視点でこの詩を分析していくと、たくさんの「仕掛け」や「トリック」のようなものが散りばめられていることに気付きます。
金子みすゞは、やはり、言葉のチョイスや独特の優しい視点の他にも、詩人としての奥深さもプロなのだということが分かる詩です。是非、最後まで読んで、その謎を解き明かしてみてください。
まずは、何となく読んでいる視点を、「何が出ているのか」にフォーカスをしていきます。分かりやすいように丸を付けさせていきます。
これは「小さいもの⇒大きいもの」の順番に登場していることに気付きます。ただし、最後だけは特殊です。「蜂で始まり、蜂にまた戻る。」ここには、何らかのみすゞの意図がありそうです。
この詩では、「蜂」が非常に重要な存在であることが分かります。先ほど書いた通り、「蜂で始まり、蜂で終わっている」という視点+題名にも「蜂」が使われているのです。
きっと「蝶」や他の生き物では代用できない役目が「蜂」には込められているのでしょう。ここでは、この質問を投げかけ、子どもたちに様々考えさせますが、答えは保留にしておきます。
「蜂」をひらがなに直すと「はち」。「はち」を他の漢字や記号、表現にすると、数字の「8」や漢数字の「八」、植木鉢の「鉢」などを挙げられます。
「蜂」は数字の「8」「八」に関係している可能性大。
その理由は3つ!1つでも分かったら天才です!
「1つでも分かったらすごい」と意欲を出させ、口々に予想を言わせても面白いでしょう。ただ、大人でも気づかない、非常に鋭い観察力が要求される秘密であるため、ヒントを出していきます。
「『。』を丸で囲みましょう。」と指示し、数えさせます。すると、この詩は二文で出来ていることに気付きます。
読者の皆さんはどうでしょうか。
「。」2つと、「8」、何か気が付くことはありますか。
実は、「〇+〇=8」という「『。』が2つで『蜂』」という秘密につながるのです。これが理由1つ目。さらに別の組み合わせが考えられます。
「。」を縦に並べたら「8」、そして横に並べたら「∞」。これが秘密2つ目。「詩人は皆、言葉の魔術師である」と筆者は考えていますが、正しく、みすゞもそうだと言えましょう。
「∞」は「永遠に続く循環」をも示しますね。この詩で伝えたいのは「命の循環」でしょうか。しかし、この詩には生命ではないものもたくさん含まれています。
信じている人は多いかもしれませんが、「本当にいるか」と問われれば分からないもの。それは・・・
いよいよ、この詩の3つ目の秘密、且つ、最大のトリックの種明かしとなる「授業の山場」へ突入します。
読者の皆さんも、是非、考えてみてください。
「積もった雪」や「わたしと小鳥とすずと」のように、全ての生き物だけはなく、全てのモノにまで慈愛の心をもつみすゞの思想が表れているような気がします。
一見すると、「『蜂』と『神さま』という言葉の響きが、可愛らしくも美しい、みすゞらしい詩」までの受け取り方になってしまう可能性があるこの詩も、「『言葉の宇宙』ともいえる解釈が広がっているのだなぁ」としみじみ感じてしまいます。
正しく、言葉も全てのモノに込められた神さまも「無限」にめぐっていますね!
『蝉しぐれ』の授業
この詩は、みすゞの詩の中でも特に美しい響きをもっている、筆者の好きな詩です。解釈がかなり分かれたり、抽象的になってくる部分もあるので、チャレンジとして授業をしてみるとよいのではないかと思います。
まずは、基本事項の確認です。
❶題名は何ですか。
❷何連の詩ですか。
その上で、取り組みやすい部分から、「あれども見えず」を考えさせる質問(発問)をしていきます。
「話者」とは、この詩の語り手のことです。
出てくるのは、おそらく、「蝉」「蝉しぐれ」「夕焼け」「百合」「金」「みどり」「山」「窓」などではないかと思います。ここで、「蝉しぐれ」の説明をします。
「蝉しぐれ」とは、「蝉の降るような声」のことを言います。
「蝉しぐれ=声」ということなので、「蝉が見えているとは限らない」という可能性が生まれてきます。ここで、もう少し、この詩の情景(イメージ)を広げていく発問をします。
これは「動いている」と「止まっている」に分かれるでしょう。なぜなら、連によって、時間帯が違うと考えることができるからです。
❶第一連ではどちらですか。
❷第二連では?
❸第三連ではどうでしょう。
第一連は、蝉の声が聞こえているのだから「止まっている」と考えることができます。ただ、教師が一方的に教えるのでなく、子ども同士で意見を交流するからこそ、内容が深まると思います。
第二連は、眼を閉じてまた開くと情景が変わっているので、「動いている」と考えることができるでしょう。
第三連は、「分からない」というのが正直なところです。「蝉しぐれが聞こえているから止まっている」のかもしれないし、「蝉しぐれは夏という季節がまた来たことを表しているから動いている」という意見があるかもしれません。
ここで、三連の「すぎてまた来る」のは何なのかが疑問にあがってきます。
A 蝉しぐれ
B 名知らぬ山
C その他
第三連だけを考えると「蝉しぐれ」でしょう。しかし、「名知らぬ山は、夕やけで、」という読点で続きがあるように終わっています。よって、「名知らぬ山」という可能性もある。他にも、「夏」という季節であったり、「ひとりの旅で来た場所」にまた来ることであったりするかもしれません。
さて、この詩の語り手は、なぜ「ひとりの旅」に出かけたのでしょうか。だんだんと詩の内部に入り込んでいきます。
この詩を何度も口に出して音読すると、非常に美しいのだけれど、何か違和感があることに気付く人もいます。そこで、「リズム」に着目して、問いを立ててみます。
すると、「眼(まなこ)とぢれば~百合が咲き、」まで、リズムが崩れているのが分かります。この詩でここだけが分離しているのです。
なぜ、ここだけリズムが違うのでしょうか。
そう投げかけて、考えさせるとよいと思います。そこだけは「眼を閉じて思い描いている景色」=「現実ではない」ことが浮かび上がってくるのではないでしょうか。
となると、「金」「みどり」「百合」は現実には存在しない可能性があります。しかも、「みどり」だけ漢字ではない。きっとこれには作者の意図があるはずです。
「みどり」を「緑」としなかったのには、なぜでしょう。「みどり」の3つの意味を取り上げてみます。
「緑」ならば、「百合という植物の葉や茎の部分」、「碧」ならば、「金と碧でできた想像上の百合」を意味します。「動物の生命力」を表す「翠」も何か関係があるのかもしれませんし、もしくは複数、全部の意味を込めたのかもしれません。
何にせよ、「百合」がこの詩の最大の謎である気がします。
「百合」とは「宝石のように輝かしい思い出」を表しているのかもしれませんし、「咲き」と書いてあるので、「何か生き生きとするような発見や期待」といった心情を表しているのかもしれません。
「ひとり旅」も故郷に帰ったのか、それとも会いたい人に会いに行く旅なのか、あてもなくさまよう旅なのか・・・・ 「金とみどりの百合」だから、きっと大切な思いのある旅なのでしょう。
ひょっとすると、このような解釈を広げることができるように、「みどり」という平仮名の表記にしたのでしょうか。深い、深すぎる・・・!
この詩の語り手は、どんな人物なのでしょうか。何を目的に旅をしていたのでしょうか。そんな想像を、これまでの授業で深めた内容をもとに想像+意見の交流をしてみることは、最高に面白いと思います。
教師が先導していくと、やはり5・6年生でも難しい内容だと捉えられるでしょう。ただ、非常に面白い詩ですので、このような詩は、子どもたち自身に分析させ、質問(発問)を考えさせるという方法でも学びが深いのではないかと思います。
子ども主導の授業にしていくには、年間を通して経験を積ませる必要がありますので、気になる方は上記の記事を読んでみてください。
まとめ
金子みすゞの詩は美しい。そして、この記事で紹介した授業を見た後は、「なぜ美しいと感じるのか」「なぜこれほど心に残るのか」というその秘密が、少しは分かったのではないでしょうか。
時代を越えて、人々の心に、言葉だけで感動を残す、金子みすゞの偉大さには感嘆のため息しか出ません。
これを読んだ読者の方々が、もし、少しでも心動かされたのならば、きっと授業を受ける子どもたちも心動かされるはずです。
解釈の深さは人それぞれでも、「詩人ってすごい」「言葉って偉大だ」「国語って面白い」という気持ちが少しでも芽生えてくれれば、それは非常に価値のある時間になると思います。
是非、詩の授業のとき、金子みすゞの単元のとき、余った隙間時間などに試してみてください。お子さんがいる親御さんは、ご家庭で試してみるのもとても面白いと思います。
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最後まで読んでくださりありがとうございました。
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