【小学校教科書俳句の教え方】俳句の面白さに目覚める教え方のコツとアイディア 徹底解明!!

教え方のコツ

「古池や蛙飛び込む水の音」

日本人なら、誰しもが聞いたことがある俳句だと思います。

俳句は日本の伝統文化。それは分かっています。しかし、なぜ、日本では小学3年生から毎年のように、数々の俳句を習うのでしょうか。俳句を教わることに意味はあるのでしょうか。

結論から言えば、「意味はある」といえるでしょう。なぜなら、わずか十七音という限定された言葉に拘って内容を検討することにより、思考力が非常に深まり、結果として「賢くなる」からです。

わずかな言葉に注目するクセが付いている子どもは、教科書に載っている何気ない言葉を気にするようになります。これがやがて、言葉の妥当性を考える思考となり、ロジカルシンキングが鍛えられていく結果をもたらします。

ただ俳句を読んで終わらせるか。その俳句の奥深さに一歩迫ろうとするか。その「大人の主体性・好奇心」は子どもに伝わります。その「一歩」が思考力ある子どもを育てていくのです。

この記事では、元小学校教師である筆者が、教科書教材である俳句を通して、俳句を教えるコツを伝えていきます。

今回厳選した俳句は以下の3つです。

戸を叩く狸と秋を惜しみけり  与謝蕪村

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺  正岡子規

名月や池をめぐりて夜もすがら  松尾芭蕉

思わず俳句の面白さ・魅力に目覚めてしまう有名俳句3選。例え、今知りたい俳句の教え方がこの3つではなくても、「俳句ってなんて面白いんだ!」と思わせる教え方は、他に転用できると思いますので、是非、最後までご覧ください。

この記事を読み終わる頃には、俳句の奥深さに感動し、子どもたちに教えたくてわくわくする状態になっているはずです。

俳句の教え方のコツ どの俳句にも共通して使うアイディア

3つの俳句の教え方に入る前に、「俳句を教える上で知っておくべき基本事項」や「教え方・授業の流れ」をお伝えします。

俳句を教える上で知っておくべき基本事項

俳句を教える上でもっておきたい知識は、「季語・季節」「切れ字」です。今回のメインは、俳句の専門的な知識を伝えるものではありませんので、簡単に説明します。

俳句の季語・季節

俳句は、5・7・5の17音の中に、季語を1つ入れるルールがあります。その季語から季節を確定し、情景に思いを馳せる。そのような外せない情報源となるのです。

歳時記という辞書を持っていると便利です。微妙な俳句でもすぐに調べることができます。

しかし、中には、1つの俳句に2つの季語が入っていることがあります。これを「季重ね」といいます。今回紹介する3つの俳句の中にも、この「季重ね」を使用しているものがあるので、意識しながら読み進めてほしいと思います。

切れ字

俳句の中の、「かな」「もがな」「ぞ」「か」「や」「よ」「けり」「ず」「じ」「ぬ」「つ」「らむ」「け」「せ」「へ」「れ」「し」という表記を切れ字といいます。

俳句では、切れ字がつく言葉が「感動の中心」とされています。

5・7・5のどこに切れ字がついているかによって、作者がどこを強調させたかったのかが分かるのです。これも俳句の奥深い世界に入っていくために、最低限知っておきたい情報です。

教え方・授業の流れ

国語のテストでは、答えは確定しなくてはいけませんが、「解釈」は人それぞれでよいのです。言葉に根付いた根拠があれば。それが国語です。

だからこそ、俳句の解釈も多種多様に分かれるときがあります。しかし、それでよいのです。

大事なのは、授業を受ける前と、受けた後で、その俳句の見え方が変わっていることです。「見え方が変わった」ということは、言葉を見抜く目や思考力が養われたということだからです。

その点を頭に入れて、俳句を教えるときの大枠の流れを記しておきます。

①俳句を読ませる

②季語・季節を確認する

③内容を深める話し合いをする

④再度、俳句を読ませる

ポイントは、最初と最後に俳句を声に出して読ませているところです。解釈はそれぞれでも、最初の頃よりも俳句を味わい深く読むことができたのならば、それは成長です。

では、その解釈・内容を深める教え方をどうしていくのか。それを実際の3つの俳句を例に、解説していきます。

面白アイディア① 「戸を叩く狸と秋を惜しみけり」

1つ目はこの俳句。この十七音に隠されている謎を解き明かしていきます。分かりやすいように授業形式で、深め方をお伝えしていきます。

自分なりの読み方で一度読みましょう。

まずは、一度、読ませる。なぜなら、最後にもう一度読ませ、変化を感じさせるためです。それぞれの読み方ですから、自由に味わっていればOKです。そして、簡単な情報を確認していきます。

作者は誰ですか。

ここまでは誰でも参加できるための土台作り。次の発問(授業で思考を促すための問い)から、俳句の本題に近づいていきます。俳句で大切なのは、「季語」と「季節」。この2つを扱いましょう。

①季語は何ですか。

②季節はいつですか。

「秋」は季節です。しかし、歳時記には「秋を惜しむ」という言葉が季語として収められています。

そして、実はもう1つ季語があるのです。それが「狸」。このように1つの俳句に2つの季語があるものを「季重ね」といいます。

「秋を惜しむ」は晩秋の季語。「狸」は冬の季語です。わざわざこの両者を季重ねの状態で俳句に入れたということは、秋の終わりから冬の初めにかけての「季節の移り変わり」であることを強調したかったということが推量できます。

この「俳句や詩の情景を絵にする」という読解の仕方は非常に有効、かつ面白いです。(図工ではないので絵のクオリティには焦点は当てず簡略化 +「話者の視点」とは、俳句の語り手の視点のことです。)

人によって解釈の仕方が全くといってよいほど変わることに驚かされます。

実際の授業では、以下のような絵を子どもたちは描きました。

A 狸が戸を叩いているのを、人が外から見ている絵

B 人は家の中にいて、狸が戸を叩く音を聞いている絵

C 人は家の中にいるのだが、窓から狸が戸を叩いているのを見ている絵

D 人は家の中にいて、戸を叩く音は聞こえるのだが、狸はいないという絵

「これはみんな共通だろう」と思っていた情報に違いがあることに、子どもたちは気付きます。ここから、描いた絵を説明させ、質問や反対意見を交流させると、非常に面白い話し合いになります。

さあ、始めは、誰もが「狸」を中心にこの俳句を想像していたと思います。しかし、この「狸自体がそもそも見えているのか」問題にメスを入れていくのです。

ここでは、俳句の中にある言葉に注目して意見を言えていたらOK。「『戸を叩く狸』を書いてあるので、狸が実際に戸を叩いているのを見たのだと思います。」といった意見がおそらく出るでしょう。

しかし、狸はそもそも戸を叩くのでしょうか。動物が戸を叩くということに、疑問を感じる子どもが出てくるはずです。

このように問うことにより、「狸以外の何か」の可能性を探り始めます。そもそも狸は何かを例えている表現なのかもしれません。そこで、「狸」という動物がどのような動物として捉えられているかを考えるのです。

「狸」という言葉が入ることわざ、物語、慣用句などを書き出させ、ずらっと並べてみます。そして、これらの言葉から共通して言える、狸のイメージを導き出すのです。おそらく、「ばける」「だます」といったイメージが浮かび上がってくるはずです。

日本では昔から、狸は「化ける」「だます」というイメージをもつ動物として扱ってきたことが分かりました。では、この俳句の作者の与謝蕪村は、なぜ狸を使ったのでしょうか。本当に狸なのでしょうか。

このように子どもたちの思考を揺さぶった後に、再度、尋ねてみます。

それぞれの意見を自由に発表させ、最後は、もう一度この俳句を声に出して読み、授業を締めくくるのです。間違いなく、初めに読んだ時に比べて、解釈が深まっているはずです。

ちなみに筆者は、秋から冬への季節の移り変わりを伝える「北風の強さ」を、「戸を叩く狸」で表現したのではないかと考えています。だからこそ、季重ねを使い、季節の移り変わりを強調していたのです。

別角度からの意見があるならば、「たぬき=田抜き」という考えもあります。季節の変わり目だからこそ、稲を刈り取った田んぼの水を抜く。その音を「たぬき=狸」として、掛詞を用いて表現しているのだという意見です。

このような、幾通りもの奥深い解釈を読み手に与える作品を、わずか17音で表現している名立たる俳諧たちは、やはり天才と言わざるを得ません。

このような俳句のネタ・授業・教え方を繰り返していく内に、国語に目覚める子どもが育っていくのです。

面白アイディア② 「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」

誰もが一度は耳にしたことがあると言えるほど、知れ渡っている正岡子規の俳句です。それぞれの読み方で一度声に出させた後に、子どもたちに問いかけます。

この俳句は、数百、数千以上ある俳句の中でも、名句とされています。何が他の俳句との違いを作っているのでしょうか。

この大きな問いを頭に植え付けた状態で、似通っている俳句を提示してみます。

「寺」「鐘」「銀杏」など、俳句を構成している要素や、リズムはそう変わらないのではないかと感じる子どもが多数を占めるのではないかと思います。

読者の皆さんは、どう考えますか。

ここからが、「柿くえば」の俳句が名句と呼ばれる所以を解き明かしていくパーツです。

人間の感覚には、五感というものがあります。□に文字を入れてできる五感の名前は何がありますか。

子どもたちに問いかけて、五感を全て確認します。

さて、「五感」という概念を確認したところで、今度は、この「五感」という視点を使って、先ほどの俳句を見てみます。

鐘をついているので、おそらく音は鳴っているはず。ということは、「聴覚」は使っています。また、銀杏や建長寺を見ているはずなので、「視覚」も使っていることになります。さらに、もし、鐘を俳句の語り手が自分でついているならば、「触覚」も使っているはずです。

「建長寺」は、3つの五感を使っていました。では、「法隆寺」の方はどうでしょうか。

「鐘が鳴る」=「聴覚」。そして柿を食べているので、「味覚」。柿を食べていれば、当然匂いもただよってきます。つまり「嗅覚」。さらに、手で持って食べることによって「触覚」を使っていることになります。加えて、柿を食べるためには、視界に柿を入れる必要があります。よって、「視覚」も使っている。

つまり、正岡子規は、わずか17音の中に、五感全ての感覚を取り入れているのです。それも気付かせないように、「柿」「鐘」「法隆寺」という3つの物を、さらっと関連付けながら、です。

知らぬ内に人間の五感全てを使った言葉で、読み手にもその五感を働かせ、俳句を味わせている。読み手はそれに気づかぬとも、なぜか「親しみやすさ」「感動」を抱いてしまう。だからこそ、多くの人に愛され、名句とされてきたのでしょう。

わざわざ解説せずとも、読ませるだけで、これだけの感動を伝えてしまう。正岡子規は、まさくし言葉のマジシャンです。

そんな大人視点の感動も共有しながら、最後にもう一度読ませます。そして、最初よりも明らかに「奥深く」が見える状態で俳句の音を味わうのです。

面白アイディア③ 「名月や池をめぐりて夜もすがら」

最後は松尾芭蕉の俳句。これも誰もが知っている名句。そして、実に奥が深い句となっています。

まずは、俳句の教え方の原則である「最初に1度音読」「季語と季節」です。

自分なりの読み方で一度読みましょう。

慣れてきたら、季語を聞かずに季節をいきなり尋ねてもよいでしょう。「季節は秋です。なぜなら『名月』と書いてあるからです。」と、作品の中の季語を根拠として意見を主張することができるからです。

さて、ここからが作品を味わう部分です。国語は、書いてある言葉が同じでも、読み手によって見える情景が違うことはここまでの記事で述べてきました。だからこそ、その違いを視覚化していきます。

「名月」「池」は見えていると確定できるでしょう。ただ、それで「想像している情景が同じ」にしてはいけません。必ず違いがあるはずです。だからこそ、イラスト化する工程が必要になります。

読者のみなさんは、どのような情景を絵にしますか?

ノートにイラストをかかせ、それを確認していくと3つの種類の考えが浮かび上がりました。

①月が池に映っている絵

②人が池の周りを回っている絵

③複数の池を見て回っている絵

なぜこのような違いが生まれるのか。それは「めぐる」という言葉が、人によって解釈が違うからです。意見の種類が出尽くしたら、絵の解説・理由を交えて意見交流をさせます。そして、「めぐる」に焦点を当てていくのです。

言葉の解釈の違いを分からせるために、「言葉を列挙する」→「分類する」という方法があります。このように実際に文章にしてみると、「めぐる」には色々な意味があることが分かると思います。

「観光地をめぐる」「血がめぐる」「頭の中をめぐる」は、空間=場所の「めぐる」です。対して、「月日がめぐる」「時がめぐる」は時間。そして「人とのめぐりあい」や「思いがめぐる」は人間に関するものです。では、この俳句の「めぐる」はどれに当てはまるのでしょうか。

ここで自由に意見を発表させると面白い。子どもたちに発表させた後、教師や大人が補足をしてもよいと思います。ここでは、色々な種類の意見が考えられるはずです。

A 月

B 人

C 時間

D 思い

どの意見も成立するからこそ、幾通りにも解釈できるこの詩に奥深さを感じていきます。しかもこれは1つではなく、複数の「めぐる」を掛け合わせている可能性もあります。その意見が出なければ、子どもたちに気付かせる声掛けもしてもよいと思います。

A~Dの1つでもいいですし、2つ以上でもOKです。

もし、2つ以上の意味を「めぐる」に込めているとするならば、やはり俳句を作る俳諧たちは、言葉のプロフェッショナルだと感嘆せずにはいられません。

追加でこのような発問も加えると、情景の広がりがさらに生まれる可能性があります。

「複数の人たちで、めぐる名月を楽しんでいる。そしてその感動が人々の間をめぐることも表している。そして飲み語らう中で、一晩中という時もめぐってしまう・・・」という解釈もあり得るわけです。

「夜もすがら=一晩中」という言葉を入れているということは、芭蕉は、やはり三つの、もしくはそれ以上の「めぐる」という意味を込めてこの俳句をつくったのではないかと筆者は思っています。

ここまで内容を広げることができたのならば、最初とは絶対に味わる読みの深さが違っているはずです。だからこそ、もう一度読ませて、締めるのです。

もう一度、自分なりの読み方で読みましょう。

以上が最後の俳句の教え方です。これまでの3つの俳句の教え方を見て、読者の方が少しでもワクワクしたのならば、このワクワクは子どもに伝わる可能性が高いです。

是非、家庭や学校など、それぞれの場所・人数に合わせて教えたり、伝えたりしてみてください。

まとめ

筆者が厳選した俳句3選はいかがだったでしょうか。

例え、今回お伝えした通りに子どもに教えることができなくても、大人が「一緒に考えよう」とする姿勢を見せる中で行っていけば、必ず「面白い!」と思えるものに1つは出会えるのではないかと思っています。

そうやって「感情を揺さぶられる経験」を通してでしか、人は目覚めていくことはできません。その経験を1つ、また1つと蓄積した人間が「知的好奇心の扉」を開いていくのです。

知的好奇心や主体性を伸ばすために必要なことは、「答えをすぐには提示しない」ことです。まずは、自分なりの考えを絞り出していく経験を通して、育まれていくのです。

その点を考えると、「国語」という教科は、好奇心・主体性を伸ばすために最適ということができるでしょう。適当ではなく「文中の言葉を根拠に考えた意見」ならば、例え正解ではなくても、「面白い!」と評価することができるからです。

そうやって、自分なりに考えた意見を認めてもらう経験を重ねていくことで、意欲そのものが湧き上がってくるようになります。

それがやがて、勉強そのものを面白いと感じるようになり、生きる力を育てていくことにつながるのです。

たかが俳句。されど俳句。

俳句1つに拘って、子どもたちの思考力を深めようとする姿勢こそが、大切ではないかと思います。

俳句には、上記3選以外にも、面白いものがまだまだあります。またどこかで記事にできたらと思います。

この記事が「よかった」「ためになった」と思う方は、SNS等でシェアしてくださるとうれしいです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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